FC2ブログ
新選組・土方歳三・日本映画・三池崇史・THE STREET BEATS・横道坊主・素敵なもの探し
http://lmnsky.blog64.fc2.com/
admin  

カレンダー

10 | 2009/11 | 12
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

プロフィール

藍鉄

Author:藍鉄
藍鉄と申します。
日本映画好きで、三池崇史監督好き。映画の感想等書いてます。
新選組、土方歳三さん好きで、史跡巡り等もしています。
歴史のあるものを感じると癒されるこの頃・・・。

Twitterボタン
Twitterブログパーツ



海自等、イベの写真等も。
2007年以前の艦の写真部屋

他ブログから引越しの為、以前の写真のサイズが一部不揃いになっております(謝)

つぶやき・・・

Twitter ブログパーツ

検索フォーム

月別アーカイブ

05  12  07  04  12  11  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04 

歴史関連リンク

【土方歳三資料館】


【井上源三郎資料館】
【日野市観光協会】
【新選組屯所 旧前川邸】
【土方歳三函館記念館】
【函館 五稜郭タワー】

【幕末維新ミュージアム 霊山歴史館】




Sisiya(志々屋)さんのサイトです♪ 新撰組・坂本龍馬・高杉晋作ほか、幕末や和をイメージしたオリジナルの作品紹介や展示ショップのご案内、幕末関連の史跡めぐり訪問記などを紹介されています。 1点1点、手造りのブックカバーがとても素敵です!!



読書カレンダー本棚

Powered By ソーシャルライブラリー

MoonAge

カウンター

Topへ戻る

2009.11.28/ 20:17(Sat)
20091128132021

今日はお天気も良くて、ちょいポカポカで、うちのワンコも気持ち良さそ~でした。
寒いの苦手なコなので。

明日からまたがんばろ~と思います。 
スポンサーサイト
編集[管理者用] 
Category: 日常
2009.11.22/ 23:08(Sun)
来月のシフトが決まって、どうやら週2日休めそうで、かな~り嬉しいです
その分、年末年始はお休み無しなのですが、、、
その分、稼げるから良いんですけど


京都の旅1日目その3です。
壬生寺を出て、どんどん南下。
五条通を越えて、島原跡に向かいました。
歌舞練場跡を越えて、島原に唯一残る置屋の輪違屋(わちがいや)へ。
赤の輪が重なった模様の入ったガス灯が風情あります。
置屋は太夫や芸妓を派遣する所だそうで、今も営業しており非公開になってますが、近藤さんの書の残った屏風が現存しているそうで、いつか見てみたいです。

輪違屋

それから、島原大門へ。
門の下を車がどんどん通るし、旗を持ってるツアーの人は通るし逆光だし、なかなかカオスな感じでしたが、なんとか写真に。
この門の下を何度も隊士が通ったでしょう。
柳と共に、当時の風情が偲ばれます。

島原大門

それから角屋(すみや)さんへ。
唯一残る江戸時代の揚屋建築として、国の重要文化財の指定を受けています。
今は「角屋もてなしの文化美術館」として、期間限定で公開されています。
ツアーに遅れて場所を探してた方と一緒になりました。
参考にしてた本が古かったのか、中を見学出来るとは思ってなくて(期間外になってました~)
でもその人達が中に入って行き、ツアーの人達だけなのかな??と思いつつ中に入ったら、予約なしで2階も含めて見学出来るとの事でお願いしました。

角屋さんの表構え。
上の写真が当時の表入口で、見学は下の写真の左側から入ります。
ことごとく逆光で、中の写真もちょっとボヤけてて、ちゃんと撮れてなかったのが残念
表からは想像出来ない位の中の広さです。

角屋
角屋

こちらが先程の表入口から入った中になるのかな。
赤い壁が印象的ですが、社寺の書院等に使用されている高級赤壁と同じものだそうです。
右奥に刀箪笥等も置いてありました。
その前に、手前の柱に「新撰組の刀傷」とあり、その下に刀傷がはっきりと残っています。

角屋
角屋

揚屋とは今でいう料亭・料理屋にあたるそうで、大座敷に面した広庭に必ずお茶席を配する事と、庫裏と同規模の台所を備えている事が特徴で、それがこちらの台所で50畳の広さがあるそうです。
写真では伝わりにくいのですが、とても広い空間で、こちらに出来上がった料理を並べていったらしいです。
中には靴を脱いで上がります。
この空間を利用して、様々な展示がされています。
私はちょっと遅れて、ここの部分の説明は受けてなく、その後をうろちょろ。

角屋
角屋

「松の間」で説明に追いついて、でもすごい人で、2、30人もいてちょっとびっくりしてたのと、説明して下さる方がちょっと高圧的な感じで(ツアー専属の方なのかな??)
先程、八木邸で説明して下さった方が2人共とても丁寧で心のこもった話をされていたので、尚更、余り感じが良くないな~と、説明もわかり辛いと感じてました。
別の部屋の展示に移動したり、、、と、その内、2階の見学を申し込まれた方~と探しに来られて、2階に案内していただきました。

見学者は私を含めて5名で、こちらではとても丁寧に説明して下さって、とても好印象でした。
2階は撮影禁止になっています。

「緞子(どんす)の間」、「翠簾(みす)の間」、「扇の間」、「草加の間」、「馬の間」、「桧垣の間」、「青貝の間」と7つの座敷を約40分かけて案内していただけました。

これが素晴らしかったです。
一部屋ごとにそれぞれ趣きが異なり、天井や障子の組子、襖絵、引き手、釘隠しにいたるまで細かく、それぞれのテーマに添った造りになっています。
襖絵や屏風等、私はよくわからないのですが、岸駒や岸連山、円山応挙などの有名な方の、直筆のものが沢山残されているそうです。

1番凄いと思ったのは、最後に案内していただいた「青貝の間」です。
部屋の壁や建具など至る所が青貝の螺鈿細工になっています。
元々はこの部屋の壁は浅葱色だったそうなのですが、当時はもちろん電気などないし、行燈で灯りをとっていたわけで、その煤で壁や襖等真っ黒になっているのですが、それに青貝細工の細かいキラキラとした模様が映えて、とても綺麗で美しかったです。
螺鈿細工の壁というのは、今は日本中を探してもここでしか見られないそうで、その技術が今でははっきりと残ってなくて、煤を落としたり等が出来ないそうです。
今でもとても綺麗でしたけど、当時はもっと趣きの異なった部屋だったんだろうなと思われます。
こちらの床の間の横の柱にも、新選組がつけたとされる刀傷があります。
こちらの部屋のみベランダ?があって、枯山水のお庭が見下ろせる様になってます。
庭には枝垂桜の木があり、桜の咲いてる季節には尚更、綺麗だろうと思います。

2階の見学が終わり階下に降りて、そうすると私がまだ1階の見学は受けてないと思われてたのか、先程とは違う方が待っておられて、私も先程の説明がよく聞き取れていなかったので、もう1度案内をお願いしました。

角屋

この「松の間」は角屋の1番広い座敷で43畳の広さがあり、芹沢鴨が暗殺される直前、最後の宴をした所だそうです。
最初、写真の左奥、床の間の前辺りに座ってたのですが、上座のその辺りに鴨は座ってただろうという事で、きっと近くに近藤さんや土方さんも座ってたんだろうなぁ。
こおいう感覚が、不思議でとても好きです。

雰囲気に満足しちゃってたのか、写真を意外と余り撮ってなかった、、、
この角屋さん自体、今の地に移転して来たのが1641年(368年前!)で、その移転命令がとても急で慌しく、その様子が当時の九州島原の乱に似ていた事から、この地が島原と呼ばれるようになったそうです。
それ以前の花街が始まった頃に描かれた400年位前からの衝立などもあったのですよ。
そこの枠にも螺鈿細工がされていて、とても綺麗だったです。

角屋

庭に臥龍松(がりょうのまつ)がある所から、松の間というそうです。
奥に茶室もあります。

角屋

これは「都林泉名勝図会」という当時の観光ガイドブックみたいなものに描かれている、角屋と臥龍松を庭から見た所で、庭で子供が雪だるまをつくって遊んでいたり、花街は遊郭とは違う、家族で遊べる様な所だったらしいです。

角屋

こちらも1階の「網代(あじろ)の間」。
こちらもとても広かったのですが、間に柱がない造りになっていて、天井も現代では見ないもので、この上の部屋には今は入る事が出来ないそうです。
含めて、他にも非公開の間が4つ程あるそうです。

やっと、1日目その3終わり~です。
3日間で300枚位写真を撮ってて、でも、使える様なものが余り無いという

でも、また京都に行ったら、壬生と、この角屋さんにはまたぜひ行きたいです。
2階も見学すると、料金は1800円とちょっと高めなのですが、それだけの価値は充分にありました。
後100年後にこの角屋さんとか、八木邸などが今のままであるかといえば、それは決してとは言えないと思うので、そおいう場にいる事の出来る時代に間に合って良かったな、と思ったりしました。 
編集[管理者用] 
2009.11.14/ 14:56(Sat)
なかなか進みません
やっとその2です。

八木邸を出て、すぐ南にある壬生寺に向かいましたが、その壬生寺の坊城通りを挟んで向かいにあるのが、江戸から上洛した浪士組の本営が置かれたという新徳寺で、ここの本堂であの清河八郎が爆弾発言をのたまった所だそうです
これにより、200名以上いたという浪士組は大半の再び江戸に帰る者と、近藤勇、芹沢鴨、土方歳三、沖田総司等、初志の通り将軍警護の為、京に残る者10数名(20数名とも)に別れ、これが後に会津藩お預かりとなり、新選組となっていったきっかけの場所でもあるのかな?
中は非公開になってますが、当時の本堂はそのまま残されているそうです。

新徳寺


新徳寺の前を通り過ぎ、すぐ右手に壬生寺の東門があります。

壬生寺

ここの境内で沖田総司が子供達と鬼ごっこをしたりして遊んでいたと言われてます。
また新選組が相撲の興行をしたり、壬生狂言を鑑賞したり、後には大砲の軍事調練等も行われたそうです。

壬生寺

このお寺の一角に「壬生塚」という隊士の墓所があります。
近藤勇の遺髪塔、芹沢鴨と平山五郎の墓碑、合祀墓があります。
それに近藤さんの胸像や新選組顕彰碑、三橋美智也さんの「あゝ新選組」の歌碑もあります。
私が行った時には、多分、会話から銀魂のファンと思われる若い女の子達が数人いて、ちょっとキャーキャーしてたのと、反対に、年配の方がひとりおられて、熱心に手を合わせておられるのが印象的でした。

八木邸でも意外と若い女の子が多くて、見学者も絶え間無い感じでしたが、町を歩いてても、地図を見ながら歩いてる若い人が多くて、やっぱり歴史は今人気があるのかなぁ、と感じたりしました。

関西人らしく?(京都はちょっと違うイメージなのですが)写真を撮ってると話しかけてくるおっちゃんとかいて、昭和30、40年代頃までは、京では新選組はしの字も出したくない位、嫌われていたりもしたそうですが、その頃から段々変わってきて、石碑が建てられたり、大河の頃は人が並ぶ位だったそうです。

壬生寺
壬生寺
壬生寺
壬生寺
 
編集[管理者用] 
2009.11.05/ 18:58(Thu)
朝10時過ぎの新幹線で京都に到着。
3日間の内、お天気が1番良いのがこの日だという事で、まず1番行きたかった壬生界隈に行く事にしました。
河原町のホテルに荷物を預けて、大宮に向かいました。

駅の南口方面から出て路地に入りほんの数分で、新選組関係者の墓所でもある光縁寺があります。
入り口に「新選組之墓」という碑がありますので、すぐわかると思います。

光縁寺

山南敬介をはじめ、20数名の隊士が供養されています。
左の通用門?から中に入り、墓参料を払い案内書をいただいてから、本堂裏の墓地に向かいます。
奥側に山南敬介、松原忠司、河合耆三郎らの墓があります。
後に改葬された伊東甲子太郎や藤堂平助の名前も刻まれています。
当時、この寺の近くに新選組の馬小屋があり、隊士達が毎日門前を往き来し、当時の住職の方と山南さんの間に親交が生まれ、屯所で切腹した隊士達が埋葬されるようになったそうです。
私が行った時には誰もいなかったので、ゆっくりお参り出来ました。

光縁寺


門を出てから西に向かい数分歩くと、左手に新選組の屯所であった旧前川邸が見えてきます。

旧前川邸

残念ながら非公開なのですが、土日にだけ母屋玄関を利用して新選組関連のグッズや模擬刀などが売られてます(中の様子は絵葉書で伺う事が出来ます)
この旅で幾つかお土産を買ったのですが、ここで買った手作りのブックカバーが1番お気に入りです。
ひとつひとつ違って同じものがなく、他にも巾着袋や名刺入れなどもあって、とても可愛かったです。

旧前川邸

長屋門の内側から。
この門の下を隊士達が何度も通ったんでしょう。

旧前川邸
旧前川邸


旧前川邸の門を出て、坊城通を挟んで向かい側に八木邸があります。
今は京菓子鶴屋さんというお店になっています。
前川邸のここの部分に、山南さんが明里と最後の別れをしたという出格子があったそうです。
当時この界隈は田畑が広がる田舎で、八木邸の庭から二条城が見えたそうです。

八木邸

右手のお店入り口付近で見学料を払い奥の門から入ります。
入ると、すでに数人の方がガイドの方から説明を受けている最中でした。
途中からでも何度でも説明を受けれるそうです。

八木邸
八木邸

残念ながら、中は撮影禁止になってます。
入ってすぐに、もう芹沢鴨や平山五郎、お梅さん等があの日寝ていたという座敷で、そこに座って、ガイドの方から説明を受けます。
正面、床の間の横の方に局長の銅像があって、実際の近藤さんにとてもよく似ているそうで、なんか、局長の顔がリアルにわかる気がしました~。

畳は何度か入れ替えてるそうですが、柱や天井、壁等は当時のままのそうだそうです。
子母澤寛の小説を読んで想像していたよりもずっと狭く、こんな狭い所で4人も斬り殺される騒ぎになれば、当時、為三郎さんのお母さんは相当怖かっただろうなと思ったり。
その場にいると、当時の空気の中にいる様な独特の雰囲気でした。

縁側を通って隣りの部屋へ。
為三郎さんの文机が庭に向かって置いてあり、真暗な中それにつまづいて、為三郎さん達が寝ていた布団の上に倒れ込み、そこで止めを刺されて、芹沢鴨は亡くなったそうです。

その上の鴨居の所に、その時の刀傷が深く残っています。

当時の台所跡や天井なども珍しかったです。
提灯をしまう家紋の描かれた棚等もあるのですね。
階段があるのですが、当時から使われてなかったそうです。
(追い詰められた場合、逃げ場がなかったからだとか・・・)

見学を終えた後、お店の方で抹茶と壬生菜を練りこんだ屯所餅をいただけます。 
編集[管理者用] 
2009.11.02/ 22:20(Mon)
無事京都3daysに行って来ました。
今回はライブも兼ねて、行きたかった史跡巡りをして来て、とても充実でした。

願わくば!お天気がもうちょっと良かったら良かったんですけど


今回の旅で1番良かったのはやっぱり、今まで歴史の中のもので、小説や物語等から、自分の頭で想像するしかなかった場所やものに、実際に自分がいる事が出来て、目にする事が出来た事かな~と思います。

今の景色に、当時土方さん達が歩いてただろう姿を重ねて見たりしてました
この辺に座った筈!とか。


それと、距離感がわかったのが良かったです。
祇園会所跡から池田屋までとか、三条大橋から壬生までとか、戊辰戦争が勃発したという所から伏見奉行所までとか。


近藤さん達はどんな思いで三条大橋を渡って、京に入ったんだろうなと、その時の風景を重ねて見ようとしても、見える景色は変わってて、でもどこか面影はある筈だから、そおいうものを探すという感じで、それが楽しかったりしました。

また写真等upして行きたいと思います 
編集[管理者用] 
 
 
Copyright © 2009 ルリ ノ ナミカゼ, all rights reserved.